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 毎年大晦日には比較的真面目な文章を書いてたんだけど、観念的なことを文章化するのが微妙にめんどいんで今年は無しで!と言い切るのもナンかなーなんて思っちゃうチキンハートなシロクマさんとしては、ちょっとした今年感じたことのまとめ的な雑文をつらつらと書いてみる。

 「主観と客観」は言語と絡めて修論のテーマにしたほどシロクマさんには身近なテーマなんだけど、今年は主観のフィルターを前向きなものに取り替えることで、世の中随分生きやすくなるというのを感じたシロクマさん。ブラックフィルターからホワイトフィルターに取り替えたって感じ?

 家事と介護と仕事はデフォでやりつつ(去年はこれに学業も加わってたんだから我ながらヤバかったと思う)、趣味の読書や小説書きの時間まで作っていこうと思ったら、もちろん結構大変なわけですよ。それなりに頑張ってるつもりなわりには定職についてないの!?とか批判されるし、持病も人に理解されてるとは言い難いしね。

 だけどあんまり大変だー大変だーとは去年に比べて言わなくなってきたのが今年のシロクマさんの変化です。これは、客観的な大変度が軽減されたわけじゃなく、さっき言った主観のフィルターが変わってきたからなんだね。

 例えば、「今日はこの調子でやっていけば、夜に2時間くらい小説を書く時間が取れるぞ!」とウキウキしていた所で母シロクマが発作を起こして、対処・看病・励ましに追われて小説書いてるどころじゃなくなったなんて事態はこの1年何回もあったわけですよ。

 去年までの主観のフィルターがブラックだったシロクマさんだったら、「何でこんな事に」「母シロクマの介護さえなければ」「どんなに苦労しても誰も認めてくれない」「一体いつまで続くのだろう」と言った気持ちになって、しばらく何もできずに負の感情をばらまいていたのだけれど、今年の主観のフィルターがホワイト化したシロクマさんは「今日、母シロクマの発作が起こって小説が書けなくなったのは、小説の構成の方を見直すいい機会だと捉えて、今日は頭の中で構成でも見直そうか」と考えるようになってきたんですね。

 ポイントは、基本的に自分の理想や、生きたい生き方を実現していくために近道な考え方はやっぱり後者だろうということです。

 これは、いきなりブラックフィルターからホワイトフィルターに乗り換えられるものではなく、練習で身につけていく技術的なものです。1年間、考え方の練習を繰り返して、なんとかフィルターがホワイト系になってきたんだね。ブラックだったフィルターを、じっくりと時間をかけて磨いてきたイメージでしょうか。

 世の中、口を開けば「ダメだ」「ダメだ」しか言わない人が沢山いますが、そういう人に影響されず、「理想や夢を持たない自分」に変なアイデンティティを持たないことですね。理想を追うことや、頑張ること、あるいはポジティブな考え方をとにかく糾弾することで、現実的な自分ってやつを一段高く置いて自己の重要感を満たそうと必死な人がいますが、シロクマさん的には激しくカコワルイよ。

 自分の主観にかかってるフィルターを磨き続けることは、自分に対するエチケットのようなものです。エチケットやマナーが無くなったらどうなるかというのは多少想像力が働く人だったら分かります。皆が一斉にもう磨くのも掃除するのもやーめた、とか言って放置された街はどうなるか。時を経ずしてゴミの街化です。自分の快感を優先するために磨くのをやめた/エチケットを放棄したはずが、その結果は街がゴミの街化して、自分の快感が阻害されるという一種の矛盾です。「自分が楽しくなるために自分が楽しくなくなることをやるよ」と言ってるかのような訳の分からない状態です。「他の皆が磨き続けてくれるから、自分だけは特別に磨かなくてもいい」という自分を無根拠で特別化することでのみこの矛盾は回避できるわけですが、そこで考えて欲しいのは、他人の努力や前向きな活動に寄りかかって、自分だけ自分が寄りかかってる人達をあざ笑って自己を保持してる自分ってやつを自分で許せるかどうかですよね。なので、やはり、「自分に対するエチケット」や「自分に対するモラル」という言葉がこの話を考える上ではしっくり来ます。

 自分に対するエチケットを守って主観のフィルターを磨き続けられるか、放棄して磨いてる人を糾弾する側に回るか。シロクマさんがシロクマのままでいられるか、濁った色のクマになってしまうかの違いは、そんな些細な点に依拠しているのだと思った一年だったんだね。

 じゃあまあこの辺りでまとめにしたいと思うんで、そんな感じで皆さん良いお年を。オール・ハイル・ブリタァニア!!(全力で叫びつつ)