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 いじめ問題は、いじめられて自殺する側も、いじめる側も、原因は「自己の重要感」の欠如に起因するとシロクマさんは考える。

 この場では何度か述べたが、「自分が重要な存在だと認められたい欲求」は、食欲、睡眠欲、性欲なんかと並ぶ、人間が根元的に持ってる大事な欲求の一つだ。基本的にこれらの大事な欲求が満たされないと、人は負の行動に走る。外側に向かえば犯罪を犯し、内側に向かえば自殺だ。それくらい、基礎欲求をある程度のレベルで満たしているということは生きていく上で重要なことなのだ。

 いじめる側は他罰的な態度でしか「自己の重要感」を満たせない負の満たし方の典型例。弱い要素を持った他者を、集団で自己より下においてなぶり倒し、相対的に自己を上に持ってくることでしか「自己の重要感」を確保できない愚かな例だ。

 いじめられて自殺する側は、そんないじめる側のいびつな「自己の重要感」の満たし方のはけ口になってしまったがために「自己の重要感」が奪われ、自殺予告でも出さなきゃ「自己の重要感」を補給できないほどに追いつめられてしまった悲しい例だ。自殺予告、こうでもすれば、皆自分に注目してくれるでしょ?どんな形であれ自分を重要だと思ってくれるでしょ?という必死の叫びとしかシロクマさんには思えない。

 これら二つの歪んだ形での「自己の重要感」の補給は大いに改善されていくべき命題だが、そのために必要なのは、いじめる側、いじめられた側の双方どちらにしろ、やみくもに糾弾することではない。

 特に、自分自身は食欲、睡眠欲、性欲、そして「自己の重要感」の欲求も十全に他者から与えられてる者が、自分だけ安全圏から見下ろして糾弾する類の話ではない。本当の意味で糾弾できるのは、自分自身もまた欲求が満たされない状況に投げ出されて、それでも前を見続けたことがある/見続けている者だけだろう。しかし、残念ながらそういう人がわざわざ糾弾するケースは稀である。基本的に経験上エンパシーが強く他者の痛みが分かるため、人を糾弾する刃は常に自分の喉元にも突きつけられてることを知っているからだ。

 重要なのは、いじめる側、いじめられる側双方に「自己の重要感」が供給されず、されないがゆえに他罰的な負の満たし方で負の連鎖が広がっている点をどうすれば断ち切れるかを考えることであり、また、そういうメカニズムが存在する現実に対して自分に何が提供できるかを考えるかだ。

 だから、キミが当たり前の「重要感」を受け取れている場所にいるのなら、安全な場所から当事者達を糾弾することで「自己の重要感」を受け取れてる自分自身の居場所を噛みしめるようなことだけを言わないで、どうすればキミが受け取れている健全な形での「重要感」を当事者達にも感じて貰うことができたのかを考えてあげて。